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~2 すなお。


しかしまた、だからこそ僕は自分に対して正直になれたのである。彼女のこのような純粋さが僕の心の中で何かをめざめさせたのである。正直になるしかなかった。自分の心の中が見えてくるのである。それまで気づくことも、見ることもなかった自分の心の中が晴れてきて、霧(キリ)が消えて、そしてそれが何だったのかというのが、よく見えてきたのである。

自分がすなおになって、よこしまな利害の妥算や情欲が消え失せていって、心の中がストレートに、直(じか)に、透けて見えて来たのである。心の中が透明になって何もかもがクッキリと、あらわに浮かび上がってきたのである。まるで透き通った水面の中をのぞき込むように。かつて僕が見失い、忘れ、捨ててきたものが、そのまま映し出されて、見えてきたと思われたのである。自分自身の本当のすがたが記憶の中でよみがえり、そしてそれに気づき、思い出されたのである。

自分の中で眠っていた何かがよみがえり、僕は自分自身にめざめたのである。いまを生きている自分とは別の、もう一人の自分自身を見ていたのである。そして、それを発掘し、発見したのである。心が晴れて、晴れやかになって、あらわに映し出されて、すき透って、直接、心の中が見えてきたのである。僕は自分に正直になるしかなく、そんな自分を発見し、見つけ、めざめたのである。


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