異和感。
平等ならざる性格や才能といったものも、歴史的・地域的概念である。というのは、性格や才能といったものは、地域や歴史の状況によって、その求められる内容が大きく異なってくるからである。 例えば、現在必要とされる才能といったものも、過去には必要が無かったか、あるいは有ってはならない災いのタネでしかなかった、そんな不必要な「才能」だったかも知れないのである。というよりも、より正確に言うと、そうした移り変わりが普通なのである。 それは個性といったもので、より本質的には情緒とか感じ方といったものである。それは個人的な、個性が持つ必然性から来ている。必然性とは、自己の成り立ちと根源のことである。自分の意思とは無関係の、自分の存在の先天的な自律性からきている。だれにも、自分自身でもどうにもならない、存在の自律したあり方があるのである。 つまり、もともとどこか変わっていて異質なのであって、現実に馴染めないように出来ているのである。だからまた、そこから自分自身というのがイヤでも意識され、認識されるのである。それは本人が望んだことではないのである。もともと、そうなるしかないように出来ている、ということなのである。もともと、そのようなものとして生まれて来たということである。 |