「志向性」
思い込みと気まぐれ、気ままで、その時々のまわりの空気や雰囲気で何事も決められる。理性や論理ではなく、それに優先して情緒や感情のおもむくまま、まわりと一緒になって流されて行く。もちろん、感情の抑揚や集中はあるが、気まぐれな思い付きを出ることがなく、理性や論理的な思考に結びつくといったことがない。 しかし実は、そうしたことが誰にとってもわかりやすく、もっとも支持され共感を得やすいのである。なぜなら、それは理屈や空想的な思考ではなくて、自分自身のもっとも身近な感覚に訴えるからである。自分が生きて来た人生の経験や、その記憶や感覚に直接訴えるからである。 そしてまた、それは自分だけでなく、自分と一緒に暮らしている社会のみんなの常識や生き方とも、そっくりそのまま当てはまるものだからである。そして誰からも支持され納得され、好感を持って受け入れてもらえるものなのである。 言い換えると、個人というのが「みんな」という集団から出るということがなく、どこまで行っても忘れられたままの埋没した世界である。しかしまた、こうしてのみ自分が社会の中の一員として認めてもらえるのである。そこから「出る」ということは、社会的存在としての自分を自ら否定することになるのである。だから通常、それはけっして認められないことなのである。 |