「理由」

〜3、見えない。


自分で自分が分からなくなり、自分がだれなのか、自分が今どこにいるのか分からなくなるのである。確かに、自分が誰でどこにいるのかというのは、だれでも簡単に教えてくれる。たしかにその通りで、それがそうだということは、だれよりもボク自身が一番よく知っていることなのである。

にもかかわらず、それが信用できないのである。納得できないのである。なによりも、その「理由」が見つからないのである。そこにきっとあるはずの、そこにしかないはずの、私自身の理由、私の意味といったものが、そこに見つからないのである。いつでもどこでも僕は異人でしかないのである。

他人から、「これが、あなたですよ」と言われているだけで、それがホントかどうかという、もっとも大事なことがそこに見つからないのである。確めることが出来ず、知ることも出来ず、納得も出来ないのである。自分の「理由」が見つからない以上、自分が自分であるという証明にはならないし、自分がだれなのかもわからないし、自分が自分であるという確信も自覚も持てないのである。すべてが目隠(めかくし)しされたままの状態で、他人からムリヤリ押し付けられている作り話のように思えてくるのである。

もどる。             つづく。