「夢の世界」

〜7、めざめ。


そうした言わば、他者の存在しない一人称の世界、世界中のすべての人間の意思や感覚をまとめあげる中心点、ブラックホールとしての権威の中枢、中心核、それが世界のすべてを支配している。それはそこで生きるすべての人間が求め、願ったことなのである。だからそうした意味で、これもまた「夢」なのである。

他者というのが見えなくなっていて、同時に自分自身が見失われている。自分を他人に譲り渡した必然の結果なのである。しかしまた、そうやってこのシステムが成り立つのである。

ヒトラーのドイツ、毛沢東の中国、あるいは近代以前の中世社会がそうである。それは地球という囲いの中の閉じた世界で起こっているのである。だから、そうした一人称の閉じた一人ぼっちの世界という意味では、これもまた夢と似ているのである。

ただし、アメリカは別である。アメリカは一人称のヨーロッパ世界から脱出してきた、移民の世界だったからである。あるいはまた、ユダヤ人の世界もまたそうである。ユダヤ人は、同じ現実の同じ世界を、自分たちの別の宗教で生きてきたのである。現実を、自分たちとは別の世界として生きてきたのである。そして、第一次、第二次世界大戦でも、一人称の閉じた自分たちだけで自己完結していたヨーロッパ世界に、外から介入したのである。

自分たちと異なる世界の感じ方、リズム、生活の理由といったものを、アメリカは外からヨーロッパ世界に持ち込んだのである。それは東アジアでも同じである。東アジア世界は好き嫌いにかかわりなく、外の世界にかかわる以外になかったのである。夢から目覚(めざ)めるしかなかったのである。これは必然ではないだろうか。

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