「異人種」

〜7、常識。


そしてそれはまた、人間の意識や思考が社会と歴史の産物であるというのとも大いに関係している。そうした関係性のなかで、人間の感覚といったものも、それと意識されることなく、まるでそれが確固不動の常識のように、疑うべからずの本能のように思われて来たのである。

それは、つまり感覚の「感じ方」は変化するものであり、歴史とともに、社会のシステムとともに変形もし、変質もし、変化し、継続もし、そしてまた断絶もするものなのである。それは人間が無意識のうちに、自分たちの都合と思い込みよって作り出し、カタチ作って来たものなのである。

反対に、また従って、その感覚の感じ方から、その社会のシステムやあり方といったものが理解されてもくるのである。感覚とは、つまり、その社会のあり方、システムの反映なのである。

従ってまた、たとえば、親子や男女の間の感情のカタチ、表現の仕方といったもの、そしてそれが定まり不変のものとして固まった家父長制や儒教思想といったもの、あるいはまた、プライバシーや個人や個性といったものも、社会そのものが持つ必然性や、その保存や維持、継続の必要性から求められ、導かれ、そして指向するものとして形成されてきたものなのである。

もどる。             つづく。