「女の肌」
女の肌、服装、スタイル、そしてその動き。仕草や言葉のイントネーションや、そして話の内容もそうだ。情緒的な傾向があって、それがまた、男から見ると不思議な違和感みたいなものに感じられて、ちょうどそれが男には欠けているものであって、そして、気づかないままそれに引き込まれゆくのである。誘われ、いざなわれ、導かれて行くのである。 情緒的というのは、女の場合どこか優しげで、気づかないまま包みこまれ溶け込んでいて、どこかで自分と相手の区別がなくなって、気が付くと交流し合っている、そんな肌の「色」である。ぼやけてうっすらしていて、ほのかなあわい感じの光の色である。女の肉体表面の脂肪が光をスポンジのように、あちこち無差別に広がり散らばって行って、そしてそれが、はてしなく永遠の限りないもののように思えてきて、それが自分を無意識の世界で幻惑させている。目がくらみ、まぶしくて、目の中でなにか別の世界を見ている。 いつでもどこでも誰に対しても開いていて、だれかれ見さかいなく入り込んでくる、そんな色である。どこかで溶け合っていて、交流し合っている。カタチもふっくらしていて鋭さというのがなく、なにもかもが丸みをおびていて、そしてゆるやかに、何もかもがなんら無理なくゆっくりとつながり広がっている。そんな包み込むような肌のカタチである。 それは色で言うと、うすいピンク色なのであるが、しかし実際に見えているのはもちろんピンク色ではないのであって、しかし、やはりピンク色がどこかでつながっている、そんな気がしてくる「色」である。つまり、あわくうっすらしていて、無防備で、穏やかで、柔らかく、うすぼんやりとぼやけていて、だれに対しても開いている。そんな気がしてくるのである。 まるで赤ん坊の肌や、風呂上がりの素肌や、普段、服でかくれている素肌が何かのひょうしでピラッと一瞬めくれて見えてくる、そんな、肉体内部の血の色がうっすらと、非常にうっすらと仄(ほの)かに透けて見えるのである。 |