<1u  自意識


〜1、「家父長制」


家父長制というのは、それが最もわかりやすいからである。
自分たちが生まれて来たままの社会システムだからである。
そこから何も変わらないし、だからまた、それを乱しては
ならないと思えてくるのである。ありのままのそれが最も
自然な状態だと思えてくるのである。そしてそれがまた、
そこに生きる人々の自然な情緒となっているのである。
だからそれを乱してはならないのである。

そしてそれが家族や部族を超えて、全社会的規模で
成り立たせようとすると、だれかもっとも偉い人を中心に
上下関係が作り上げられる。それは、東アジア的な皇帝(天皇)
を意味するが、それを中心に上下関係が成立し、
またそうしてのみ、家庭内における父長の権威が絶対的に
保証される。心理的にも、社会的にも、また経済的にもそうである。

東洋的な儒教精神は稲作というコメの生産様式と密接に
関係していると思われる。これはまた、社会・経済というのが
耕作の土地と不可分の関係にあることと関連している。
そしてそれがそのまま、社会の上下関係や倫理、道徳に
そのまま反映されているのである。

父長は、外の皇帝に対しては絶対的な奴隷であると同時に、
だからこそまた、家庭内においては絶対的な皇帝たり得る
のである。こうした有無を言わせぬ上下関係こそが、
東アジア社会の権力構造であり、また、その情緒的・心情的
根拠となっている。


戻る。             続く。