「いさぎよい」
~2、暮らし。
このような、それまでの行きがかりや執着を捨てて、もう一度ゼロから始めようとする。そうするしかない。何もかもが、それ以外の生き方を出来なくしている。そうした、残された現実的なただ一つの道を歩むのである。そして、そうした巨大な不可抗力、人間の力ではどうにもならない自然の猛威に対しては、人間は成す術がないのである。 そして、それが毎年、定期便のようにやって来るのである。それも、いつ、どこにやって来るのか、まったく予測がつかない。それは、突然やって来て、一瞬にして何もかも破壊し尽して、そして、すぐに消えてゆく。なにごともなかったように。 後に残るのは、無残な破壊の後だけである。一過性、突発的、予測不可能で、そして、壊滅的なのである。それはまた、この日本列島に生きる者にとっての宿命なのである。誰もがここに生まれた途端、背負わされる、逃げることの出来ない宿命、現実そのものなのである。 似たような現象としてカミナリと火災がある。これもまた、日本列島の自然条件から直接にもたらされる。カミナリが多いのは、湿気が多く、地形が複雑で、さらに、気象条件の不安定な時期が多いのである。日本列島自体が寒帯と熱帯の狭間、大陸と海洋の境い目に位置しているのである。それは著しい四季の変化にも現れている。 本来、人は集落を形成して集団で生きることが多いのであるが、その家屋の特徴が、日本では、非常に燃えやすく延焼しやすい材料で出来ている。つまり、木と藁と紙で出来ている。湿気の多い日本列島の気候条件から、湿気を和らげる木造りの家屋が好まれたのである。そして木材が豊富にあったのである。 そして、先ほど述べた「紙」であるが、これは襖(ふすま)と障子(しょうじ)のことであるが、湿気が多く、空間が狭く、気候の変化が著しいのである。そしてまた、生存の様式としての稲作というのが、この著しく変化する気候と自然条件に依存しているのである。ここからまた、そこに住む人々の暮らしや気質、情緒といったものも理解されるのである。そして、それはむしろ、日本人の家族のあり方に深く影響している。自己と他者との境界が限りなく曖昧なのである。プライバシーが希薄なのである。 |