「形式的考え方」


〜1、暗記。


表面的な形式だけの考え方の方がラク(楽)なのである。かんたんで誰にでも出来るし、いつでも、どこでも、現実とかかわる必要もないし、そうした経験も、実際の自分の記憶や感情、情緒とかかわる必要もない。

誰にでも大量に、均一に、同じものを押し拡げて行くことが出来る。そして、なによりも、何も考えないで済むのである。むしろ、考えない方がうまく行くのであ。そうしたことが、形式的な考え方というものである。他人の考えを脳ミソにコピーして暗記するだけで(日本の学校教育が最も得意分野とするである)、自分のものになる、と思えて来る。

思わなければならないし、思わされるし、そう思う以外に周りのみんなとうまくやって行けない。誰も彼も、自分の考え(自意識)を忌み嫌うのである。これが日本のルールでありマナーなのである。無意識の、暗黙の掟(オキテ)なのである。そうやって、なにも考えずに、感じることも経験することもなく、それでなにもかも分かったと確信出来るのである。

つまり、何一つ、理解するということが無いのである。しかし、そうやって、すべてを理解したと思い込むことが出来るのである。それは観念の世界であって、現実とはやはり別のものである。しかしまた、だからこそ、非常にラク(楽)だし、効率的で、均質なものが出来上がるのである。また、大衆に支持されるのである。そしてまた、だれにもわかりやすいし、だれにとっても受け入れられやすいのである。そしてなによりも、そういうのをマスコミと学者は支持してくれるのである。

内面に立ち入ることはせずに、表面をざっとただ撫(な)でるだけで、なにもかもが、分かったつもりにさせてくれるのである。中身はどうでもよいのであって、まったく関知しないのである。だから良いのである。誰でも、どこでも、いつでも、みんなが同じように共有できる、そうした考え方なのである。そしてまたそれが、誰もが文句なしに納得しやすいカタチなのである。

もどる。              つづく。