「自由」


〜2、ガラパゴス。


それは、島という現実の客観的制約、空間の狭さだけではない。それには歴史的に堆積されて来た文化的・精神的要素、さらには、シツケやマナーなどに表現される人間同士のつながり方や、キズナのあり方に如実に現れている。どういうことかと言うと、島であるということ、間に海があって、世界(大陸)とへだてられているということである。海が隔(へだ)てているということは、人間が自由に、簡単に出たり入ったり出来ないということなのである。

のみならず、世界(大陸)から見ると日本列島は辺境の地であって、行く必要も、行きたいと望むところでもないし、そうしたことの外にある、興味の対象にもならない、どうでもよい、関係のない国でしかなかったのである。できれば、関係したくない国でしかなかったのである。少なくとも19世紀までは。

だから変わった言い方をすると、ガラパゴス化・鎖国が出来る。そうした自分勝手がそのまま実行できる国でもあったのである。海で隔てられた島であるということ、さらに、世界のはずれの奥の、そのまた海を越えた向こう側にある、どうでもよい国であったのである。そうしたことが人間の往来や出入といったものを極端に少なくしてきたのである。

もどる。              つづく。