「心情」


〜7、思いやり。


それでも面白いというか不思議な一面もある。自分が思っていることや、感じている心情といったものを、人知れず他人にも思ってもらえるということに、この上ない嬉しさを感じるという心のあり方である。日本人は感情というのを、自分の心の中にしまい込むことが出来るのである。そして、それを周りの人間も知っていて、気をつかったり思いやったりするのである。

要は、そうしないことには、この狭い日本でひしめき合って生きて行けないのである。ひとりでも騒ぎ出すと、全体がパニクルのである。だから、だれもそのことをよく知っていて互いに気を遣うのである。感情をしまい込むというのは、反面、そうやって心情や感情といったものが共有されるのである。そしてそれがまた、心の支えにもなっていて、そうやって社会全体が壊れることなく維持されるのである。

だからまた、店舗などでは店員が素直に「ありがとうございます。」と言うのである。言えるのである。心の底から本当に、そう思っているのである。そしてお客様もそれに反応している。つまり、どこかで心情といったものが共有されているのである。このような内面性は、中国人にも韓国人にもないものである。

買う・買わないは二の次で、店員はそうやって感謝の情を表し、そしてまた、相手に受け入れてもらえることに真のよろこびを感じているのである。それは、何も買わなくてもひとこと、お客様が「ありがと。」と言えば、それで心の交流が成立するのである。これは本当の話なのであって、日本では本当にそうしたことが、商店とかビジネス以外の、日常のすべての場面で行われている。

自分も見知らぬ相手も、お互いが心の中で感謝しあい、いたわりあい、思いやるという事にこの上ない喜びを感じるのである。まるで、そこに自分の「存在理由」を見つけているようにも見える。しかし、こうしたことは見知らぬ外人にとっては、余計なおせっかいで、人格に対する不当な干渉と映らないのだろうか。いずれにしても、「思いやり」の心は日本特有のものと言える。

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