「普遍的存在」


〜1、疑惑。


四季とは移ろいであり、変化である。私たちはこうした変化の中で自分を見ていて、自分を確かめている。変化とはキッカケであり自己認識の場面である。それは同時にまた、自分の感じ方というのを自分の中で見ているのである。

いまだ意識されることのない情緒。意識ではなくて「情緒」、つまり、雰囲気とか気分の空気が周りのみんなの意思を支配している。そうした情緒や意思、考え方、そして生活のすべてがそうである。

それは、意識されざる無意識の世界なのである。だからこそ自分は、この社会の一員であり続けることが出来るのである。それは意識してはならない世界なのである。当たり前に暮らしている自分たちの日々の暮らしに疑惑を抱いてはならないのである。それは自分の存在を疑うのと同じことなのである。

従ってまた、だからこそ、外へ出るということが出来ないのである。外へ出るには、いまあるすべてを否定するしかないからである。自分で自分の存在を否定して、自分の感覚や自分の意思、自分の生き方のほとんどを失うことを意味している。だから、それは出来ないことなのである。

もどる。              つづく。