ヨーロッパのの起源(古代ギリシャ) p31


「普遍性」



自分の中で自分を意識するといった、そうした、自己意識の無いところで行われる、自己意識の表出といったものは、その素材をと材料を、常に、自分の外から持ってくるしかない。それは、自分自身の精神の中で、自立して作り出すことが出来ないし、また、それが意識されたり、自覚されたりすることがないからである。自己意識が無い、というのはこのことなのである。だから、自己意識のないところでは、その精神の表現は、いつも自分の外からやって来て、人間はそれを素材と材料にして、加工するだけなのである。

だが、加工することによって人間は、自分自身を意識し自覚するのである。だが、ここではいまだ、自己意識と共有意識は、明確には区別されず、分離もしていない。しかしまた、実は、そうした区別のないところが、「美しさ」の源(みなもと)となっているのである。個の感性と共同体の意識が、みごとに一体化しているのである。個と共同体が区別されることなく、いまだ合体したままでいるのである。理想と現実、肉体とタマシイとが、みごとに融合し共有したカタチで表現されているのである。

精神と肉体、個人と共同体、個人意識と共同体意識というのが、みごとに、寸部(すんぶ)の違いもなく、統合され、一体化しているのである。そしてこの、個と普遍性との完全な一致にこそ、私たちは永遠の「美しさ」を感じてしまうのである。

そしてそれは、意識され意図的にそうしたのではなくて、むしろ反対に、意識されなかったからこそ、みごとに統合され得たのである。そしてそれを、思考という観念の世界ではなくて、思考を無視して、自分自身の肉体の感覚の、感じ方、感性のみで直接に表現しているのである。まさにそうしたことが、古代ギリシャが後世に残した遺産だったのである。絵画や彫刻、神話や、そして古代ギリシャの歴史そのものだったのである。


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