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人間は、自分の目に感じるものを、自分の意識を通して見ている。そうした意味では、観念的映像ともいえるし、主観的なのである。それと意識することなく、自分の主観で見ているのである。 × × 「ぼやけて見える」というのは、目の焦点距離が合っていないからだ。目の中の水晶体(レンズ゙)でピントを合わせると、ハッキリ、クッキリとよく見えてくる。反対にピントからズレたものは、ぼやけてかすむ。 しかし実際には、ボヤケて見えることも、ボヤケていると感じることもない。なぜなら人間の目は、何かものを見るとき、無意識のうちに必ず、ピントを合わせているからである。ピントに合う所しか見ていないからである。人間にとって「見る」というのと、ピントを「合わせる」というのは、同じ動作なのであって、ピントが合わないまま、何かを見るということがないからである。 実際、ピントが合わないまま、ボヤケたままでものを見ているというのは、いわば、視覚というのが機能していない状態なのであって、目を開いたままで何か他のことを考えているのである。目は開いているけれども、何も見ておらず、見えてもいないし、見ようともしておらず、何かが見えているとは意識されない状態なのである。 これが、人間の目にとってのボヤケるという意味である。無意識のうちに気ままな思い込みが人間の目を支配している。つまり、人間の目にとってのボヤケるという意味は、そうした意味で主観的なのである。 |
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