index < 日誌 < mぼやける< 追加「ぼやける」p4 |
例えば、だれかの描いた絵画などを見ているとき、目の焦点距離は、絵のすみずみまで合っていて、視界もまた、すべてが目の中に入ってきている。しかし実際には、本人が見ているのは、絵の中の、ほんのごく一部分なのである。要するに、人間は自分に興味のあるものしか見ていないのであって、それ以外は、見えていても見えないし、ていないし、見えて来ないのである。 それは、人間の目の水晶体(レンズ)の働きも同じで、見たいと思うものだけにピントを合わせているのである。それ以外のものについては無視している。ピントが合おうと合うまいと、おかまいなしに、どうでもよいこととして無視している。 たとえ、ピントが合っていないところがあって、ぼやけていても、気づくこともないし、また、それがぼやけて見えるということもないのである。(見ていないのだから当然である)。本人が見ようとしない限りピントが合うこともないし、カスミが晴れてクッキリと見える、ということもないのである。本人が興味のないものは見えて来ないのである。 でも写真として、これを固定すると、ぼやけているのがよく見える。例えば、ピントの合ったポートレート(人物写真)と、その背景の、ぼやけた外の景色がそうである。人間にとって、意識されずにいたものが、写真を通して見えてくる。他人の目でもって見えてくるのである。 |
index < 日誌 < mぼやける< 追加「ぼやける」p4