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イミテーション。



それは、人間がもともとそうなのではなくて、それは人間の外からやって来て、人間を押しつぶすのである。どこへも逃げ場がなくて、絞め殺されてゆくのである。だから、出てゆくしかないのである。

そうやって、今いる自分が捨てられ、新たに獲得されるのである。自分というのが新たに発見され、あるいは目覚め、生成されて、それまでとはどこか違うものになってゆくのである。

人間が好きこのんで、のぞみ、願ってそうするのではなくて、実に仕方なく、どうにもならず、それ以外になく、そうするしかなかったのである。そしてまた、そうやって自分自身というのが自覚されたのである。

それは、なにかに導かれてというよりも、踏んだり蹴ったりの袋叩きの状態のなかで、それに逆らってのみ、生き延びることができたのである。そうやってのみ、自己に目覚めることが出来たのである。

あるいは反対に、失敗して死滅してゆくのである。たいていがそうであったし、今もそうである。あるいはまた、精神を動物のように押し殺して、生き続けて来たのである。

インドのカースト制度、東アジアの儒教思想がそうである。僕には、それがなにか、生きている屍(しかばね)のように、人間の顔をしたオバケのように見えてきて、仕方がないのである。

現実とは、そうした魂を欠いたオバケの世界なのである。だれもが、他人の魂(タマシイ)をそっくりそのままコピーしただけの、オバケの世界なのである。脳ミソも生活のパターンもそうである。偽善とナリスマシとイミテーションの世界である。もちろん、その方が良いのかも知れないけど。

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