index < 日誌 < am種< 「カタチ」


 
「カタチ」。



「存在」というのを個人レベルで見ると、その個人の生死でもって始まって終わるのであるが、その個人が生きてきた機能やその様式、必然性といったものは、その後もずっと、現実の中で生き続けている。

そして、そうしたことが、まぎれもなく「種」の精神とかタマシイと言われているものであり、それは、人間の生き方や考え方、感覚や情緒のあり方としてずっと残り生き続けている。そして、そうしたことが、祖先から自分へ、自分から子孫へとずっと続いて来ている。このような「存在の仕方」を離れた人間というのは、現実には存在しない。

それは、自己が同一であり続けるという、主体の存在を示唆している。それは、空間的に見ると、自己の肉体であり、精神的に見ると、自己の人格であり、時間的に見ると、
種ないし民族のタマシイとでもいったものである。

それらはいずれもハッキリした明瞭な輪郭と、すがたカタチを持っていて、それがその人間の、精神の領域と境界を成しているのである。他者とハッキリ区別される、その民族特有の必然性と様式のカタチを作っているのである。そうした固有の精神のカタチを持っていると思えてくるのである。

確かに歴史や習俗、信仰や生活のパターンから考え方・感じ方に至るまで、何から何まで、何もかもが同じところから出てきているように思えるのである。私たち人間は、同じものを様々な角度から眺めていて、その視線の違いにによって、同じものが全く別のものに見えても来るし、また、見ているのではないだろうか。

              履歴へ

index < 日誌 < am種< 「カタチ」