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冬に景色が暗く感じられるのは、景色に照らされる太陽光の全体量が、圧倒的に少ないからである。太陽の光は地表面に対して斜めにしか入って来ないのである。したがって、地表面が受ける光は、単位面積に換算すると圧倒的に少ないのである。 × × 冬は、寒く、冷たく、つらくて萎縮する。身体と精神も閉じこもって、身がまえてしまう。ただ、じっとしているだけで、何をしたらよいのかわからず、また、なにかが出来るはずもなく、世界全体がそうした陰にこもったように閉じて、内にこもって固まったような感じになってしまう。 気温が低く、太陽の光が弱く短い。そして、乾燥していて、世界全体が乾いている。これでは、生命が外へ出て行くことが出来ない、こもるしかない。かといって、こもったところで何かできるはずもない。だから、心までも何かわずらわしく、ゆううつになってくる。じっとして、何もせずにいるしかない。何もできないし、また何かをしなければならない理由も無いのである。 だから、じっと身がまえて、固まって何かを待っている。かといって、そのアテがあるのでもない。アテもなく、理由もなく、ただ待っているのである。そうするしかないのである。でも、このままではよくない。出て行かなければならない。精神は外へ出なければならない。 でないと、内にこもったままでいると腐ってしまう。自分で自分を押し殺し続けることはできない。いつの間にか自分が解体して破壊されてゆく。固まったままでじっと居つづけることは出来ないのである。 何かを求め、探し、自分をたしかめ、自分の証明となるものを、現実の世界に見つけなければならない。だからやはり、外へ出るしかないのである。「出る」とは、つまり精神が現実へ出てゆくのである。精神が自分でそれを見つけなければならないのである。 |