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精神は、いまだ自分自身を意識してはいない。それ以前の無意識の世界を生きている。もちろん現実には様々な感情がいきかう。怒りや悲しみ、楽しみや喜び。驚き、ためらい、戸惑う。そうした自然の感情がなんら疑われることのない世界である。 それはいいかえると、自分自身とまわりのみんなが、いまだ分裂していない状態である。自分自身の自立というのがいまだ自覚されずに、まわりのみんなの中に溶け込んで消えてなくなっている状態である。 だから、このような世界では自分というのがよく見えずに、自覚されることもなく、そしてまた、第三者という立場から自分を客観的見ることもできない。そしてまた、そうした必要もない世界に住んでいるのである。 またそうした世界にあっては、それが当然の、むしろみんなの中にあっては、それこそが当然の正義なのである。そしてそれがまた、みんなにとっても、また、自分自身にとっても原理となっているのである。 それは日本という社会システムの断固とした、そしてゆるぎない決意と、その意思の表明であって、このシステムが必然的にもたらす強制力であって、自己保存の絶対的原理であり、要請なのである。 これこそが日本社会を成り立たせている根本原理であって、日本のすべての秩序の無言で無意識の合意事項なのである。つまり、宗教や法律理性以前の、自分たちが信じるところの前提となっている。 つまり、そうでないものを非国民や非日本人として排除するし、またその範囲内では何をしても「許される」のである。これが私たち日本人にとっての暗黙の絶対的強制力、すなわち「正義」なのである。 |
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