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このような肉体と精神の一体性・同一性、情緒といったもの、自分が自分であることの証明といったもの、そうしたことがどこかで切断された。分断され断絶し、そして、つながりといったものが破壊された。自分の精神といったものが、バラバラに切断されている。自分で自分を統合できずにいる。自分自身の精神の領域が見つからず、全体としても、一体のものとしても、自分をとらえることが出来ずにいる。 文化が断絶している。絶えることなく流れ続ける、川の流れのように自然に身に付き、伝えられ、引き継がれてきたものの、すべてがまやかしのように思えてくるのである。しらじらしく、わざとらしい中身がカラッポの言い訳のように聞こえてくるのである。 シキタリや常識、そしてよりあからさまに言うと、人間同士のつながりやキズナまでが、ウソのように思えてくる。文化というのが、本来、歴史的に連続しているはずの文化というのが、どこかで途切れて、見つけられずにいる。だから何を見ても聞いても、現実のすべてが、なぜかよそよそしい、まやかしかウソのような現実、実体を失った偽りの現実のように思えてくるのである。 |
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