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封建制度とは、いまだ人権の未熟と家父長制に根ざしたもので、社会のキズナ(絆)は、いまだ固定した上下関係に従っている。上には盲目的隷従と、下には奴隷が必要である。そうやって、自分が普通の中間でいることができるのである。だから、どうしても被差別集団が必要であり、そしてまた、自分の居場所を保障してくれる、偉い人の権威がどうしても必要なのである。この権威こそが、こうした自分を正当化してくれる根拠なのである。 社会秩序の絶対性というのが、理性によって正当化されるのではなくて、硬直した上下関係、そしてそれを正当化する原初的で不変の、共同体が始まった状態のままの自然な結合関係、つまり、血縁と家父長制、そして家長の家長としての皇帝が社会の要(かなめ)、キズナ(絆)、中心となる。 だから秩序は理性的ではなくて、感情的・情緒的である。法治ではなくて人治、合理ではなくて情実である。自立した個人同士の関係というのがなくて、あくまでもコネと談合、ないし、上からの絶対的強制である。個人というのが存在しない集団的全体性の世界である。 そして、この秩序の外で人間が生きて行く余地はない。それは、人間の社会の外の世界である。人間社会から切断されたところに「人間」という概念は成り立たないのである。 しかしまた、「合理性」も「理性」も怪しい。これは近代の国民国家が目指したものの、思想的根拠となったもののことである。すなわち、その限りで正しいのであって、反対に、こうした歴史的・社会的現実から離れたところで通用するものではなく、むしろ、21世紀の今日おいては誤解と偏見の源泉になっていることが多々ある。 |