index < 日誌 <ai原理< 「人格の破壊」 |
神聖なもの、貴いもの、絶対存在、あるいは権威といったもの。そうしたことが、ものとして見える。ご神体、バッジ、肖像画等々である。というのは、自分の本質といったものが、自分の外に、自分以外のところにある、ということである。そこから、絶対的服従、暴力というのが正当化される。 この「権威」というのは、ストレートな肖像画だけでなく、間接的な符号や偶像としても現れるが、それでも精神的なものを感じることが出来る。しかし、直接的な肖像、または写真といったところに、野蛮で残酷な暴力が感じられる。 それは、外からやって来る純粋で直接の肉体的暴力として表現される。それは絶対的強制力であって、自分の肉体のみならず、精神までも他人のものとして扱われる。 それは、自己の精神を破壊するところに成り立つもので、自己の精神が「もの」として、それも自分の外にある「もの」として扱われる。 |