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覚めて、目を開けて見る外の世界は、現実の世界である。 そうではなくて、目を閉じている世界は、自分の中の世界を見ている。自分で自分の肉体を、あるいは心の中を見ている。 めざめて意識のある状態で目を閉じると、やはり何かが見える。目を閉じたままでも視覚神経は、目のなかでそれなりに機能しているのである。これは、目のマブタを透かして入って来る微かな光を、末端の視覚神経がとらえて反応しているのである。あるいは、深夜の真っ暗闇で眼を閉じるか開くかしても、やはり何かおぼろげな捉えどころのない、雲模様みたいなものが見える。 外の光と、目の中の視覚神経との間に、肉体のマブタが入ってきているので、実際に見えるのは、なにかの形とか輪郭として見えるのではなくて、おぼろげで形(カタチ)にならない、何かぼんやりした、とらえることが出来ないものである。たとえると、雲のように常にゆれ動き、もやもやしていて、なにか得体の知れない、とらえどころのない姿である。 なぜ、そうなのか? 意識は覚めていて、視覚器官は正常に作動していても、目を閉じているために何も見えない、はずなのである。しかし、何かが感じられなければならない。そうでないと、自分にとっての目というのが、実際に機能しているのかどうか、あるいはまた、もっと根源的にいって、自分に目というのが有るのか無いのか、わからなくなるからである。 自分にとって、「目」という感覚器官があるのかどうか、それを自分が持っていて、そしてそれを、自分の意思でコントロール出来ているのかどうかが、わからなくなるからである。もしもコントロール出来ていないなら、視覚という感覚器官は、もともと自分には無いということになる。無いものを感じることなどあり得ないということになる。 |
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