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5、別のもの。



自己認識のカタチは、ヨーロッパの場合、絶えざる北方野蛮人の南下によってカタチ作られた。これら流浪の民は、「何か」になる以外になかった。そうしてのみ生き続けることが出来たのである。

「何か」とは新たな民族になる、ということである。それまでとは異質の必然性を生きる、ということである。それまでのやり方では生きて行くことが出来なかったのである。それまでの自分を捨てて、「何か」別のものになる以外になかったのである。そうやって生きて行くしか無かったのである。

様々な、雑多な民族の混合と掃きだめから、それらが掻き回され、折り合わされて、それまでとは全く異質で、別の原理と必然性を持つに至るのである。そうやって新たな民族が形成され、新たな文明と歴史が始まるのである。古代ギリシャとローマがそうであり、また、これが土着のゲルマン人と混合・融合して行ったのがフランス・スペインであった。

新たな民族が始まるというのは、それ以前の民族が解体していって、それが何か別のもの、別の民族に変わってしまった、ということである。それ以前とは別の新しい未知の世界へ入って行った、ということである。

しかしまた、そうしたことが、東アジアでは起こらなかったのである。起こりようがなかったし、起こる必要もなかった。東アジアにおける人間の生存のカタチは、稲作が中心であり、そこから出る必要もなく、またこの稲作を離れところに社会が存立し得なかったのである。


戻る。             続く。

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