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様々に無限に変化するイメージの世界。精神の内面から、ものの表面へと映り、写り、移って行く。現れては消えて、そしてまた現れては無限の変化を永遠にくり返してゆく。そして結局は、その源にあるのはウツロで、空虚でカラッポの、なにも無い世界なのである。 だから、生きて何かを感じ、よろこび、たのしむというのは、そうした仮空の、幻のような虚ろな世界をただよい流されて行く、そうした流れるさまのことであって、変化をくりかえす時間と空間の世界で自分を感じ、自分をたしかめ、そして、かみしめているのである。そしてそれがまた、自(みずか)らの存在の仕方、生きている証明なのである。そうした、移ろいゆく変化の世界を楽しみ、そして生きている。「うつろい」とはこのことなのである。 このような世界。自分の精神の中にあった何か得体の知れない未知のものが、表面に現れ、表現され、憑りつき、映り、移り、写ってゆく。そうした、移ろいの世界。それはまさに、日本列島の鮮やかな四季の世界であり、そしてまた、温暖で湿気と水の多い、生命の生と死のあふれ出る変化の世界なのである。 自然が様々に変化し、そしてまた、生命もその盛衰を無限にくり拡げるのである。そしてまた、そうした日本列島の自然だからこそ、現実というのが、移ろいゆく変化の世界として感じられてくるのである。自分というのが、そうした現実世界の変化の中でしか、確かめることが出来ないのである。これが日本列島の自然であり、そして、そこに生きる人間の精神の特性、宿命なのである。 この「宿命」というのが、主観的で独善的な言い方であるというならば、宿命ではなく、条件・制約・方向性・構成要素などと言ってもよい。この場合、同じ意味だから。 |