index < 日誌 < af必然< 「パターン」p2/ |
すべてが気まぐれと思いつき、そのときの気分しだいで決められていて、何もかもが気ままな偶然のようではあるが、けっして、そうではない。本人から見ると気まぐれに見えても、他人から見るとそうではないのである。 単調な何気ない、どうでもよいような日々のくり返しなどと言っても、それがまさに、自分の現実なのであり、自分が生きている現実の生活なのである。そして、そこでの自分の思いつきや気まぐれ、感じ方、そして出来事などを一つにまとめて、並べて見ると、やはり、そこには一つの共通のパターンや制約と傾向などがあって、そしてそれが自分の個性であり、必然性なのだと思えてくるのである。 そしてまた、そうしたことは、自分の身のまわりの、ありふれた自然環境についても、そのまま言えるのである。すべてが不規則、偶然、バラバラに広がって行って、動いているように見えながら、外から見ると、あるいは背後から見ると、やはりそれなりの必然性の下に動いている。必然性とは原理であり、秩序であり、規則なのである。 もちろん、そうしたことは自然についても言えることではあるが、それはまたそのままで、文化や社会についても言えるのである。シキタリや習慣、礼儀作法、それに法律や芸術に至るすべてについて言えるのである。それらの間に共通の傾向とリズム、そして何よりも、それらの中に他者と区別される自己の内的自律性とその固有の必然性があるのではないかということである。 |