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自由になるしかなかった。何も無い世界、見捨てられた世界にあっっては、自由にするしか無かったのである。選択の余地などない。自由以外になにも無かったのである。だれもがヨソ者で、よそ者同士であって、自由になるしかなかったのである。 移民は、先行するシステムにたよることが出来なかった。彼らは、すでにあるシステムにとってヨソ者なのである。自分で、自分の暮らしのシステムを新たに作るしかなかったのである。 あるいは、すでにある自然の中から、新たに見つけるしかなかったのである。そして、それを制約し方向づけ、条件づけたのが、彼らが生きていた自然環境なのである。人間が生きている現実とは、彼らを取り囲み支配している自然環境のことなのである。そして既存の社会システムだったのである。 この現実というのが、彼らの新たな生存のための前提なのである。これが新たなシステムの前提となるもので、彼らの生存を可能にし、あるいはまた、不可能にした条件だったのである。 それは民族の存廃、盛衰、あるいは生きるか死ぬかの分かれ目なのであって、自分自身の決断と覚悟が求められたのである。それまでの自分とはまったく別の自分になることが求められたのである。自分が自分で無くなることが求められたのである。たとえ一時的であったとしても。 それは新たな誕生、または死そのものであり、それまで生きてきた既存のシステムからの離脱を意味したのである。また、既存のシステムでは生きて行けなかったために、彼らはそれ捨ててを移民となったのである。それは本人の意思には何らかかわりのない偶然なのであって、ただたんに、そうするしかなかった、それ以外に選択の余地が無かったというのに過ぎないのである。 そして、それを運命づけ決定づけたのが、彼らが生きていた現実の自然環境だったのである。私たちは、現実を生きているのであって、そして現実とは、私たちが生きているこの自然環境なのである。それは、地理的・歴史的条件なのであり、そしてまた、私たち自身の中に生きている、肉体の生理や神経、情緒や感覚のリズムなのである。 |
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