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自分で自分を表現することが出来ない。なぜか? 自分と自分が対立しているからである。そしてこの対立が自分を破壊してしまうからである。自分を客観的に見ることを出来なくするからである。 自分で自分をコントロールできず、自分が自分でないようにしてしまうからである。だから自分というのを、自分以外の他のものを通して表現しようとする。あるいは他人の精神に乗り移って、とりついて現れ出ようとする。 では反対に、自分を通して自分を表現するとは、どういうことなのか? つまり、自己意識が問われているのである。自分の内部で、自分と自分が対立し、対象化された自分というのを客観的に見ているのである。そうやって始めて、自分を語り始めることが出来るのである。対立する自己が統合されるのである。 自分を客観的に見ているのは、自分を他人として見ているのである。このような精神の分裂、対立こそが自己意識であり、自己の精神が他者を区別する独立し自立した、そうした内的必然性を持つ意識なのである。意識が意識を意識しようとしているのである。自分が自分を見ているのである。対立する意識が、自分のなかで統合されるのである。 それは自分自身であって、自分にしかない原理のリズムなのである。言わば、精神の音色(ねいろ)、あるいは個性といったものなのである。けっして譲り渡すことも、もらうことも出来ない、私だけの、私の存在の必然性なのである。 |