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気候とは、人間をつつんでいる空気のことで、それは本来、暑さ、冷たさ、硬さ、湿っぽさ、柔らかさなどで表わされる無機的なものである。しかし同時にそれは、人間の感覚からすると、心理的状況としての蒸し暑さであり、薄れてゆく感情の意志的な暑さであり、寒さでもある。そしてまた、心地よい穏やかさとしての柔らかさであり、そして春の情緒的で明朗な、明るく大気に溶け込むような、やわらかさでもある。 こうしたことが人間にとっての感じ方といったもので、気候としての空気の質が、人間の生き方、感じ方、暮らし方に大きく影響を及ぼしているのである。 それは単に、人間の外にある自然の感覚的な感じ方ではなく、心理的で生理的な感じ方、呼吸や鼓動、心拍や、体内をかけめぐる血液のリズムといったもの、体内感覚といったもので、そうしたことがアンサンブルとなって、一つの情感の型(パターン)となって、外の自然と人間の身体が一体となって融合した世界である。それはまさに、この地を生きてきた民族の情緒的特性といったものなのである。 そしてこの現実の外の世界と、自分自身との間に空気があって、この空気が人間を包んでいて、それが人間を支配している。そうしたことが意識されることのないままで、あまりに当然で当り前のこととして、だれも気にも留めないのである。 しかし、やはりこの空気が人間を支配していると言わざるを得ないのである。自分と外の世界との間に空気があって、これが自分と現実との間を行ったり来たりしていて、外の世界と自分とをつないでいるのである。 |