index < 日誌 <古代ギリシャ< 「映し出すもの」A-F/


 
D、自覚。



ギリシャ精神は、自分がしていることの意味について気づいていない。それは、いままで誰もやったことのないもの、したことも、経験したことも、考えたこともないような、そんな世界を生きている。

そして、そうした世界に生きているのだということに気づいていないのである。ただ、そうするしかないから、そうしているだけなのである。本人には分からないのである。他人から本人に向かって、「そうだ」と言ってやらない限り。

それは、特殊な条件が重なって出来た一時の、歴史上の限られた地域でのみ可能なことだったのである。いわば、束の間のマボロシのような世界を通り過ぎて行くのである。

そして、それを記憶の中で発掘し再生させたのがルネッサンスであった。ただ、ルネッサンスは自分が何をしているのかということを自覚している。自らが必要とするもの、自分に何かが欠けていることを知っているからこそ、それを求めようとするのであり、そしてまた、自分の行為の意味をも自覚していたのである。

ギリシャ精神が偶然のなり行きと重なりでそうなったのに対して、ルネッサンスのそれは、人々が意図的にのぞみ、欲し、さがし求めたものなのである。それは、自分自身の内的必然性に導かれてのことであり、自分自身で獲得し、復活させ、再生し、そしてさらに、創造したものなのである。

従って、それはまた、そうした傾向は、科学の分野でも現れている。純粋科学がそうである。自分で自分を見つめ、問い始めている。こうしたことは、古代のギリシャ・ローマには見られないことである。


              履歴へ

index < 日誌 <古代ギリシャ< 「映し出すもの」A-F/