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6、幻想。



何もかもが幻想である。自分が生きているこの現実がそうなのだ。ウソと偽善とまやかしの幻想の世界を私たちは生きている。観念化されたはずの現実というのが、どこかで壊れて、理由が見失われて、実体を欠いたマヤカシやオバケの世界と化しているのである。

めくれて、剥がれて、途切れて、それをむりやりつなぎ合わせただけの、あちこちで、中身の生地が見え隠れしてしている。腐りかけてゾンビと化した、まるでフランケンシュタインの顔のように。

現実は信じられない。いや、信じてはならないものなのである。それは作られ、仕組まれた、偽(いつわ)りと幻(まぼろし)の世界なのである。実体が無い。そしてまた、それ以上に「理由」のない、表面だけの世界である。、体裁と外面だけの世界であって、中身がカラッポの外の表面だけで成り立っている世界である。まるで、カニやエビのように。

外面だけが恐ろしく立派で、自信と威厳に満ちみちているけれども、中身はカラッポでスカスカの何も無い世界なのである。形はあっても理由の無いオバケの世界なのである。そして何よりも最も深刻で、救いようがなく、もはやどうにもならないのが、自分自身の「理由」を喪失しているという点にある。自分が理解もされず、意識もされず、意識のしようもなく、自覚もされようのない世界を生きているという点にある。

自分はなぜここにいて、どういうわけで生きているのか、はたして自分は何をしようとしているのか、自分でもわからないのである。知りようがないのである。自分が誰かわからないまま生きているのである。これでは、もはやどうにもならないのである。どうにかなるものでもなく、どうしょうもなく、もはやどうでもよい、自分にはもうどうでもよいことなのである。


戻る。              続く。

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