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4、異人種。



だからまた、自分が生きている理由が見つからず、自分が誰かわからなくなって、自分が見つけられず、まるで、空気や霧や幻のように自分が思えてくるのである。これでは、やはり、オバケなのだ。自殺の願望と指向がどこかで自分自身とつながっているように思えてくる。

やはり、自分というのが現実に存在しないオバケならば、非現実の世界が自分本来の居るべき所、居場所なのである。非現実とは、現実を否定した、現実でないところ、つまり、あっちの世界なのである。現実に生きている自分自身のウソを、正直に抹消した世界なのである。本来の自分に忠実で正直な世界なのである。

もしかすると、いまは無きボクたちの祖先は、自分自身の中で生きているかも知れない。そして、それが実際に見えてもいると思えて来る。僕の閉じた目の中で。これは空想と観念の世界ではない。かといって現実の世界でもない。

僕の目の中の、生きた生理作用や情緒のリズムとして感じられ、それを通して見ているのである。補色や残像、あるいは記憶の断片、思い込みや偏見として。あるいはノイズや不具合の錯覚として。自分自身の情緒や生き方、感じ方の中に見ているのである。それが、自分ではどうにも制御できない、肉体の感じ方やリズムとして自分にせまってきて、そして自分を支配しているのである。


戻る。              続く。

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