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6、発掘。



それは、だれにも譲り渡すことの出来ない、自分自身の精神の領域なのである。そしてまた、それは自分が自分に正直であることの証明なのである。だれか他人に依存することなく、自分で自分を生きようとしているのである。そうやって、精神の内面は自分の下で、自分の肉体の中で生きているのである。

いままで自分の外から押し付けてくるだけの、政府やメーカーが作り出した、無味乾燥で無意味な権威や価値観、生き方や感じ方、自分自身の内面の情緒といったものが、外からの押し付けや強制でなく、自分自身の内面からの確信、自分自身の考えで判断される。それが個性であり、人格であり、プライバシーなのである。

社会の習わしや常識、生き方といったものが、真に自分自身の内面から発するもの、自分自身で了解し、納得し、創造してゆく生きた世界となる。自分自身が発見されたのである。自分の中にある自己の意識が発見されたのである。精神は初めて、自分自身というのを意識したのである。現実の意味と、自分自身の理由といったものが新たに問われ、自覚され始めたのである。

現実というのが、そして生きている自分というのが、自分にとって異なるすがたとなって現れたのである。浮かび上がって来て、映し出され、広がっていったのである。その意味や理由といったものが、それまでとはまったく別のすがたをあらわにしたのである。

それは、これからは自分自身でたしかめ、生きて、形成し、創造して行かなければならないものなのである。現実の世界からまどろみやキリが晴れてきて、本当のすがたが見えてくる。何もかもが自分自身の精神の中にある。精神は自分自身に目覚めたのである。

そして、その意味と理由は、自分自身でこれから見つけてゆかなければならないものなのである。そうやって自分自身というのが、自己というのが発見されたのである。精神は自己にめざめたのである。


戻る。              続く。

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