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人間が自分を意識するのは、いつもと違う自分を見ている時である。自分の情緒のカタチに変化が見られる場合である。言い換えると、自分の中に他人を見ているのである。 情緒のカタチとは、精神のリズムとパターンのことであって、それぞれにとって固有で個性的なものである。それが、どこかで切断されるか、それとも他者が入ってきているのである。この時点で、自分を意識せざるを得ないのである。自分を見失い、自分が自分で無くなる恐れが生まれて来ているのである。だからまた、自分というのを強く意識もするし、統合して行かざるを得ないのである。 変化のないところに自分は意識されない。自分が自分を意識するのは、情緒が切断されるか、変化にさらされる場合であって、自分の中で感覚と意識が切断されるとき、あるいは、時間の流れの中で過去と現在の自分が異なるものとして感じられる場合である。つまり、感覚的、または時間的な変化の中で自分を見ているのである。そうした場面で自分が意識され、情緒に衝撃が走るのである。感覚が、本来の、自分のものでないものを感じているのである。 だからそれが、見知らぬ他人が自分の中に入ってきていると感じてしまうのである。そしてそれが理解できず、自分の中で苦しみ続けるのである。そしてまた、それが、意識の届かない無意識の世界で自分を制約し、縛り続けているのである。だからまた、わけもわからず、もどかしく、うっとうしく、自分で自分をコントロール出来ずに、自己の内的同一性に苦しむのである。 |
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