index < 日誌 < as同一性< 「ヌケている」 |
なぜ、こういう気持ちがわき起こってくるのか、自分でもわからないのである。どうしようもないし、どうにもならないのである。ずっと昔から、もの心がつく前からそうだった。考えすぎなのだ。判断が鈍くて遅い。 現実に生きている自分がいて、そして、それを見つめ続けているもう一人の自分がいるのである。そうして、いつも自分に問いかけてくるのである。これで良いのかと。そうやって、いつもまわりのみんなから数歩遅れる。肝心なところがヌケていて、ズレていて、ゆがんでいて、きしんで、引き裂かれて、にじんで、そして溢れてくる。自分の中の未知の奥底から、何か得体の知れないものがいて、僕をじっと見つめ続けている。 結局、いつも何もできずに終わってしまうのである。いつでも、どこでも、自分は異人種に過ぎないのである。見える姿カタチが同じでも、中身の精神のどこかが根本的に違う、そうした異人種のように思えてくるのである。 まわりのみんなに対しても、自分自身に対しても、ずっと、そうであり続けるのである。ウソはつけないのである。努力して性格を直したところで、それは自分にウソをついているだけなのだ。いずれバレるし、それ以前に自分がもたない。壊れてゆく。だから、正直になるしかないのである。 自分はだれなのか? それが分からなくなるのである。いつでも、どこでも、なにをしていても、なにか言い知れぬ異和感みたいなものが僕を包んでいて、つきまとっていて、自分が自分でないような、そんな、自分が他人のように思えて来て、自分がだれなのか見失いそうになるのである。 自分自身に対する際限のない猜疑心に苛(さいな)まれ続けるのである。こうした自分はいったい誰なのだと。自分がわからなくなる。不可解で、不思議で、理解不能な、得体の知れない、正体不明のわけのわかないものに思えて来るのである。 |