index < 日誌 < f衝動< 続、黒色のスポーツカー」p3/ |
それはつまり、スポーツカーのボディ表面というのが、すべて緩やかに湾曲して行く自由な曲面から成り立っているということである。それが反射面のシルエットをまるで生き物のように見せているのである。シルエットの線や面にも、つなぎ目とか折り目がなく、すべてが柔らかく、なめらかで、自由な連続した線で構成されているのである。 面の表面というのが、直線や円弧といった数値で構成された、計算され仕組まれた思考の痕跡といったものが全く見られないのである。切って、折って、曲げて、引っ張って、伸ばして、たわめて、せん断し、むりやり繋いでカタチにする。そうした、自分の外部からの強制の跡が見られないのである。 それは、内部から、自らの必然の力によってカタチになったのである。何かに導かれ、求められて、自らの自然のなり行きでそうなったのである。ふっくらと柔らかく、そしてやさしく包み込むような、そんなカタチである。線や面の何もかもが一つになって、自由につながって、それがそのままでカタチになったのである。 私たちの中に生きているタマシイや、本能や、衝動といったものが、そのままカタチや、その動きとなって映っているのである。そしてそれはそのままで、自分自身の魂の姿を象徴しているのである。 |
index < 日誌 < f衝動< 続、黒色のスポーツカー」p3/