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13、どうにもならない。


しかしまた、だからこそ、そうした者が変革の主体となるし、ならざるをえない。そしてまたそれ以前に、社会に対しても、自分自身に対しても自由にならざるを得ないのである。

自由とは、このことなのである。それは与えられるものでも、自分が望んだものでもないのである。ただ、気がつくと、そうした不本意な立場に自分が置かれているということなのである。

そこから出て行くしかないような、そうした非常に苦しく、どうにも救いようのないところに自分が居るのである。そうして、いやいやシブシブ追い立てられ、押し出されてきているのである。

そうしてこれを、なにも分からない自分勝手な第三者が「自由」などと言っているのである。それは外から、安全なところから見ている第三者にとって見ると、たしかに「自由」に見えるのかも知れないが、現実のただ中に居る本人にして見れば、ただひたすら苦しいだけの、そうするしかないから、そうしているだけの、本人の意志とは何の関係もなく、ただ仕方なくやっているだけのことなのである。

戻る。                     続く。


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