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それはつまり、自分の中にある、それと似たものの記憶と経験から理解するのである。そうやって、無意識の内に比較し分類しているのである。あるいは、無限にくり返されてきた身体の、反射作用の取捨選択としてそうなのである。 バラバラでとらえどころのない、無限に錯綜し、重複し、縦断し、入り混じった様々な印象から、それらの中に紛れ込んだ共通のものをとらえて、似せて、同化して、それらが同じものとして、そしてそれらが寄せ集まったものとして見ているのである。これは、果てしのない偶然の錯覚というものである。あくまでも思い込みの主観に過ぎないものなのである。 何かを感じ、意識し、とらえるというのは、あるいは印象し、経験し、記憶が残るというのは、それ以前に、何か得体の知れない未知の動機や、理由や、何かしらの意味があるからなのであって、そうしたことが、知らず知らずのうちに、自分が経験してきたことを、何かしらの印象として記憶に残しているのである。 |
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