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こうした社会ではシステム自体が、だれか見知らぬ偉い人の、「権威」によるシステムである。自分で自分を放棄した、権威に対する盲目的従順性が社会のオキテとなっている。 それは無言の不文律・戒律であって、この社会の絶対的強制力となっている。それがイヤなら出てゆくしかないのである。「出て行け」と強要されたりもする。学校も企業も地域も社会全体がそうである。職にありつけない、だれにも相手にされない、収入が途絶え、孤独にさいなまれながら生きてゆくことになる。事実上、物理的にも社会的にも生きて行けなくされる。 イヤ、生きて行けない。生きて行けなく出来ている。生きていてはならないように出来ている。そうやって、みんなのシアワセが保証されるのである。みんながそれを望み、求め、そして強要する。もちろん、この場合のシアワセとは隷属と屈従、ペットないし奴隷としての喜びである。そうした実に倒錯した世界である。 世界中のすべての人々が、それが正しいと言っても、そうでないものは、やはり正しくない、間違っているとしか、言いようがないのである。何度でも、死んでも、何度死んでも、正しくないと言うしかないのである。言わなければならないのではない。言うしかないのである。そうでないと、自分が自分でなくなってしまうのである。自分が消えてゆくのである。自分を失うのである。 |