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それは不要で、わずらわしく、じゃまなものであるがゆえに、記憶から消され、あるいは意図的に捨ててきたものなのである。しかしまた、そうした失われた痕跡しか残っていないとしても、それがあるからこそ、自分というのが今ある自分から、何か別の自分になるということができるのである。 そうした、かつての忘れられた自分を基にして、また、そうした初期化された異質な状態から、新たな出発を始めることができるのである。 仮に、そうした潜在的な可能性、あるいは、かつての失われた自分の記憶といったものが、まったくないとするならば、自分というのが、もはや何にもなれず、その時点で終わりになるしかないのである。 自分がだれなのかという以前に、自分が自分であることを否定するしかないのである。自分を捨てて消し去る以外にないのである。これが「滅ぶ」ないし「死」なのである。それは、オリジナルな「種」としての消滅を意味している。自己の内的同一性を失うのである。自分が自分でなくなるのである。 |