index< 日誌 < am種19-62「肉体の記憶」p5-


5、自律性。



それは意識ではなく、意識出来るものでもなく、意識のとどかない、意識とは別の世界の、そうした、肉体そのものの「感じ方」の世界なのである。意識を無視して、そして意識から自律した肉体そのものの世界なのである。

人間が生きているという、精神と肉体の分離以前の世界なのである。それは、自分が生きている舞台であり、背景であり、印(しる)しなのである。そしてまた、それへと帰って行き、そしてまた、そこから始めるしかないのである。だからまた、それにしかなれず、また、それだけなのであり、そしてまた、それが人間のすべてなのである。

ということは、そしてまた、そこから離れて切断されたところでは、自分自身を見失い、自分が自分でなくなるのである。そして実は、「滅ぶ」とは、このことなのである。

人間はそれにしかなれず、そこから離れたところに自分というのは存在し得ないのである。あり得ず、また、自分の自律性や一体性ないしアイデンティティーといったものを剥奪されてしまうのである。「種」としての継続性を喪失してしまうのである。内的同一性を見失うのである。自己の自律性とはこのことなのである。

戻る。                   履歴へ

index < 日誌 index< 日誌 <  am種 < 19-62「肉体の記」p5-