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適応。


「適応」という種の変異をよく考えてみる必要がある。変化は様々な場面で進行している。肉体の生理や仕組み、身体構造や物理的な形状そのものが変化する場合もある。たとえば、魚のヒレが数億年をかけて、いつしか手となり足となり、ツバサ(翼)にもなっている。

魚が手が欲しいと願い祈ったりして手ができたのではない。それとは無関係に手がなくては生きて行けなかったという現実の制約があったからである。そして、このような制約のなかで生きた者が残っているのである。本人の意志や願いはほとんど関係がなかったように思えるのである。

個人や「種」の意志や都合だけで、自分の身体のカタチや構造というのは、簡単に変化しないのである。それは、数年とか数百年ではなく、数万年にも及ぶ変化の累積した積み重ねの結果なのである。

しかし、ここで注意しなければならないのは、変化ないし適応というのは、何もめに見える物理的・身体的な変化だけではないということである。物理的な形状や構造がそのままで、それより先に、その機能の仕方が変わるということである。

馴れや習性、それに生理や神経のリズムやパターンが、先に変化しているということである。それは、数十数百年という短い期間で変化しているのである。その後に、そうしたことの積み重ねとして数万年ののちに、身体の物理的形状の変化が起こっているのである。つまり変異や変化といったものは、目には直接見えないところで常に進行しているのである。

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