index< 日誌 < s設定 < 20-26「背景」p7- |
なぜなら、現実の世界を感じている自分自身の肉体と感覚は、自己と現実との間の境界線だからである。この境界線によって、自己と現実が区別されるのであって、そうやって現実が見えてもくるし、それが自分とは別のものとして意識もされるからである。 すなわち、自分を意識させる現実とは、それが自分自身の感覚であり、自分の存在のすがたなのである。自分というのが、外の現実の世界から反射して映し出されてきているのである。 現実が、自分自身のすがたを反射して映し出しているのである。そして実は、これが自分自身の生き方であり、自分の存在であり、自分と現実との接点なのである。それは自分で、自分の感覚の感じ方の世界を見ているのである。 現実、または外の世界というのは、実は、自分自身の感覚の感じ方の世界なのである。そしてそれが、自分と外の世界をつないでいて、そして、自分が感じることのできる感覚のすべてなのである。すなわち、自分と外の世界との「かかわり方」のすべてなのである。人間が知り、感じ、理解することの出来るものの、すべてなのである。 |
index< 日誌 < s設定 < 20-26「背景」p7-