index< 日誌 < j生理的情緒 < 20-77「体内感覚」 |
そして自分とは、この「体内感覚」のことなのである。この体内感覚が自分自身の情緒とリズムを作り出していて、そしてこれを表現しているのである。自己の精神がカタチとなって現れているのである。 そしてこれこそが自己の原理であって、自律性なのである。自己と他者を区別する主体性なのである。アイデンティティーであり、自己の同一性なのである。自分が信じるものとは、このことなのである。宗教や信仰、常識やシキタリといったもの。そして古の言い伝えや神話といったものもがそうなのである。 そうしたことは、自分の中にある体内感覚?内向感覚・体性感覚?に基づいて知られてくる。納得もされ、理解もされてくる。それ以外に理解のしようが無いのである。またそれだけが、他者と区別される自分自身という者なのである。自分が自分であるという証拠なのである。 従ってまた、そうしたことが自分という者の、習慣や常識といった無意識の世界を支配していて、そして規制し、あらかじめ方向づけているのである。まるで、それしかないようにである。 |
index< 日誌 < j生理的情緒 < 20-77「体内感覚」