index< 日誌 < ar象徴 < 20-86「直感」 |
自分自身の精神の世界など見ることは出来ない。これはたとえば、みずうみの表面のようなもので、たまに、湖水面が風でざわついたり、中から魚が飛び跳ねてきたりしても、湖水の中は決して見えないのである。私たちはざわめく水面の流れや、飛び跳ねる魚のすがたから、湖水の中を想像するしかないのである。 だから連想なのである。そしてまた、このような偶然の錯覚によって、ものごとの中身といったものを特定して行くことになるのである。こうやって、自分たちが生きている現実の世界というものを、観念の世界の中で意識しているのである。また、そうやって自分を確かめ、納得し、安心もしているのである。そうして自分が信じるものをつかみ取ろうとしているのである。 |