――イメージをカタチに(・Image)―― 「非日常的風景」、そのB。 霧。 影がない。 しかし、いずれ太陽が顔を出し、 影を落すことは、誰でも知っている。 だがしかし、 非常に濃い、わずか3m先も見えない、 非常に濃い霧に遭遇した場合はどうだろう。 見慣れた風景も人影も何も見えない。 自分を証明するのは自分だけとなる。 ここでは、自分が誰かもわからなくなる。 ここはどこで、自分が今どうなっているかは、 世間の誰にも、自分自身にもわからない。 しかし、本当の恐怖は、 自分が人間社会から切り離されたと、 思えてくるところにある。 これも、一つの「非日常的風景」ではあるが、 人口もまばらで、電気もアスファルトも無く、 自然以外は何も無かった古代においては、 ごくありふれた風景ではなかっただろうか。 これが、神話の発生と伝説の現場となったのかも知れない。 だから中世においては、 見えない所でも聞こえる寺の鐘が必要だったのであり、 現在では携帯電話が、その役割を務めている。 それは、自己と社会とを結ぶ、 なくてはならない、絆(キズナ)だったのである。 明瞭な四季の変化が際立つ日本列島。 狭小な平野と共に、 起状が複雑に入込んだ山林が大部分を占め、 そして、 モンスーン(季節風)がもたらす豊富な雨と湿気は、 山野の植物を彩り、 気象をより変化に富んだものにしている。 日本の中世の風景画に見る山々には、 必ず、山と山、あるいは山と人里の間には、 霞(カスミ)と霧(キリ)でくっきりと隔てられている。 これもまた、 気候の変動が著しく、四季が明瞭な、 日本列島が生み出したイメージ。 無意識の内に蓄積されてきた、 心の中の風景である。
市 ・Image。 |