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index(索引)concept(概念)日誌2011-0828-3  市


桂離宮の「霞棚」。




これは機能的には「棚」というよりも、
モニュメントである。
使うというよりも、見るためのものである。

たなびく雲の間に垣間見る、
天上へと続く山々の輪郭線。
あるいは、天上の雲の間を縫って降りてくる、
天女の軌跡。
といった感じだ。

「見るため」とは、このことだ。
つまり、非合理的なのである。
見る人それぞれが、それを勝手に連想し、
それぞれが自分に合った理由を想像する。

このような印象は、
和風庭園に見る「石貼り」にも感じるもので、
自分というものを強く感じる空間である。
この乱雑に石を繋いだ、園路のレイアウトは、
直線でも円周でもなくて、
一見わざと歩きづらく作られている。
しかし、実際に歩いてみると、
そのほうが、なぜか歩きやすいのである。
私たちには、どういうわけか、
そのほうがしっくり来るのである。
空虚な合理性ではなくて、
言い知れぬ、その場を支配する「空気」みたいなものに、
強く引かれるのである。
理屈ではなくて直感的なのである。
計算された合理性よりも、
本能的で実践的なのである。



下を向くと、近くの景石や草花、
そして周りの様々な小さな生きもの。
見上げると、遠くの山々。
たなびきながら、おぼろげにかすんで見えて、
いつもその姿と形を変えて行く。
そうした息づかい。歩幅の間隔や、
曲りくねった園路の雰囲気や、瞬きの瞬間。
そうした時の、
身体の中の鼓動のリズム、呼吸といったものが、
どうも和風庭園がピッタシ来るのである。
私たちの身体が、
もともとそのように出来ている、
そう思えて来てならない。

近代の西欧的な合理性だけが、
価値の判断基準ではなくて、
何か、それとは別の何かが、
私たち東洋の世界にあるように思えてならない。
私たちの体内で息づいているように、
思えてならない。







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