――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ< 市 2013-0426
景色を見る僕の目は、すでに与えられている。 それは、あらかじめ定められ、定形化し、 すでにパターン化されている。 景色を見る僕の目は、 実(じつ)はそのパターン化された、 自己の目の「感じ方」なのであって、 景色を通して、僕は、 自分自身の心の中を見ていたのである。 意識は、自分自身の「感じ方」を見ている。 そしてこの「感じ方」こそは、 まさしく、自己の歴史そのものだったのである。 それは、祖先の記憶を、 目という視覚を通して見ている。 外にある景色ではなくて、 自己の精神の根源としての、祖先の記憶を、 自分自身の目の中で見ていたのである。 自分の目に映る景色の、感じ方・見え方というのは、 実質的に祖先から与えられ、 引き継がれたものである。 そして僕が見ている、この感覚とは、 「種」としての、祖先の記憶そのものだったのである。 「感覚」とは、祖先の歴史の結果なのである。 そうした祖先の記憶が実体化したのが、 自己の肉体であり、そしてそのカタチは、 「種」としての個人の、方向性と条件を示している。 それは、生まれ出た自分自身の、 肉体の仕組みが求めるところの、 生理的・情緒的特性の方向、 情感や心理的美意識の、 好みや傾向の内容と方向を示唆している。 のみならず、それが行きつく先の、 可能性と限界もまた条件付けている。 それは、現実の世界に映し出された、 自分自身の心の中の世界であって、 こうした記憶によって僕は定められ、 その生き方、感じ方、 そして、他人とのかかわり方において、 「僕」が現れる。 それは同時に、自分自身の存在の仕方や、 成り立ちそのものなのである。 |