( 市)ルネサンスへ<2015-0313-b ぼやける、
3:内面的。
だからここでもまた、内面的なのである。 それは何かの錯覚であり、誤解なのである。 意識というのが、ひきこもって、肉体からさ迷いだして、 自分の目の水晶体が作り出した、 仮空の世界の中で夢を見ている。 ぼやけて、なにもかもが区別のつかなくなった、 あいまいで、ケジメのない世界で、意識だけが、 わけもなくさ迷いだして、移ろいながら漂っている。 いつまでたっても、どこを向いても、 焦点が合わないままなのである。 これは、現実を遮断した、閉じた自意識の中で、 自分の世界を見ている。だから、 いつまでたってもあいまいで、ぼやけたままなのである。 そして、それはまた、今、生きている現実とは異なる、 別の世界を見ているのである。 それは、いまだ外の現実を知らず、自意識というのが、 他者というのを知らず、気づくこともなく、 自分自身というのを、はっきりと自覚できずにいるのである。 確かめようがないのである。だから精神は、 そこから出てゆくしかないのである。 外の現実の世界へ出て初めて、 本当の自分というのが見えてくるのである。 ぼやけて境界線のない世界とはこのことである。 自分というのが見えず、確かめられず、 自己と他者の区別があいまいな、 ケジメのない世界なのである。 だから、意識は区別の確定へと向かう。 外からの光が必要である。あるいは、 光を求めて出てゆくしかないのである。 境界線とは、自己と他者の区切り線であって、 けっして立ち入ることが許されない、 自己の精神の領域である。 それは、自己のプライバシーであり、人権であり、人格なのである。 戻る。 お終い。 |